最近、mRNAワクチンについて不安を感じたり、「やっぱり危ないんじゃないか」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
そんな中、参政党の岩本まなさんが書かれたアメブロの記事(https://ameblo.jp/dr-mana/entry-12912271943.html)が話題になっていました。
読んでみると、「命を守りたい」「間違った方向に進んでほしくない」という思いが、文章の行間からひしひしと伝わってきます。
そして、「自分の頭で考えることが大切」という姿勢にも、私自身とても共感しました。
だからこそ、医師としてこのテーマに向き合ってきた立場から、いくつかの主張について「ちょっと待って、それはどうだろう?」と感じた点を、できるだけ丁寧に、静かに、書き残しておきたいと思います。
本記事の内容
「長期的な安全性が不明」だから危険?
岩本さんは、「mRNAワクチンの長期的な安全性は不明」と繰り返し強調されています。
たしかに、何十年というスパンでの安全性データは、現時点では存在しません。これは事実です。
でも、それはmRNAワクチンに限らず、すべての新しい医療技術に共通する宿命のようなものでもあります。
たとえば「ロボット手術」や「分子標的薬」なども、登場した当初は長期的なリスクが未知でした。
とはいえ、mRNAワクチンにはすでに100億回以上の接種実績があり、数千万件を超えるリアルワールドデータ(実際に使われたあとの経過観察)が積み上がっています。
その中で、重大な長期的有害事象は現時点で報告されていません。
また、ワクチンのmRNAは体内で数日以内に分解され、遺伝子に組み込まれることはありません。
「何年もあとになって突然がんを起こす」というイメージは、少なくとも現時点の科学では根拠が見つかっていません。
「ロット差がある」「品質にバラつきがある」?
ワクチンの「ロット差」についても、よく見かける指摘です。
岩本さんも「副反応の出方にバラつきがあるのはロットの品質が不均一だからでは」と述べています。
でも医療現場の感覚や、実際の製造体制から見ると、その疑念には疑問が残ります。
ワクチンは「GMP(適正製造規範)」という厳格な品質基準のもとで製造され、各ロットごとに成分分析・無菌試験などが行われています。
しかもmRNAワクチンの場合、特殊な超低温輸送が求められるため、保管・流通の管理も非常に厳格です。
SNSなどでは「このロットは危険」などのグラフやリストが拡散されましたが、それらの多くは因果関係の検証がされていない「見かけの印象」に過ぎません。
データのばらつきは、接種対象者の年齢層や報告バイアスによる可能性も高いのです。
この「ロット差」問題については、私自身が以前ブログ記事にまとめたことがあります。

不安と科学の境界線。“不良品ワクチン”報道に必要な視点とは?
「政治や産業の利権の道具にされている」?
ワクチンをめぐる政治的・経済的な背景への不信感。
これについては、ある程度理解できる部分もあります。
実際、製薬会社の透明性や、メディア・行政との距離感に対しては、世界的にも課題が指摘されています。
ただ、だからといって「ワクチンそのものが危険である」と短絡的に結びつけるのは、やはり少し乱暴かもしれません。
たとえば、抗がん剤や糖尿病の薬だって製薬会社のビジネスの一部です。
でも「企業が儲かるから使ってはいけない」とは、誰も言いませんよね。
mRNAワクチンは、間違いなく多くの命を救ったと推定されています(Lancet誌などにもその推計があります)。
その功績を正当に評価しつつ、制度や情報公開のあり方には引き続き注視していく——
こうした冷静なスタンスこそが必要なのではないでしょうか。
「“魂のレジスタンス”としての闘い」に思うこと
岩本さんは今回の選挙戦を「魂のレジスタンスだった」と表現されています。
その言葉には、既存の流れに抗いたいという強い意志が込められていると感じました。
医療も、政治も、ときに「空気」で動いてしまうものです。
だからこそ異議を唱えることは、とても大切です。
ただし、その異議が「正確な知識」と「信頼できる根拠」に裏打ちされていなければ、多くの人を不安にさせてしまうリスクもあると思うのです。
信念を持つことと、科学を無視することは、まったく別のこと。
私自身、間違いに気づいたときに素直に認められる医師でありたいと思っています。
それが本当の意味での「レジスタンス」だと信じて。
おわりに:対立ではなく、対話のために
mRNAワクチンについて、不安を持つこと自体は何も悪いことではありません。
大切なのは、その不安をどうやって理解し、向き合っていくかです。
岩本さんのように「命を守りたい」と願う人が国会で発信していくことには、大きな意味があると思います。
だからこそ、その発信が正確で、科学的で、誰かをいたずらに怖がらせないものであってほしいと、同じ医療に携わる者として願っています。
この記事が、対立ではなく対話のきっかけになれば幸いです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。