なぜ医師として、参政党に違和感を持ってしまうのか?

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私は普段、政治的な主張を声高に叫ぶタイプでありません(からかうことは時々あるけどね笑)。ましてや医師という立場上、どこか一つの政党を名指しで批判するのは避けるべきだとさえ思っていました(与党は批判したことあるかも)。

だが、それでもどうしても違和感を抱いてしまう政党があるのです。それが「参政党」です。

もちろん、すべての支持者が悪いとか、全政策に反対だというつもりはない。むしろ、彼らが掲げる「教育」「食」「健康」といったテーマは、表面的にはとても善良で、聞こえのいい言葉に満ちています。だが、その中身に踏み込むと、医師として、あるいは科学を土台に日々診療にあたる者として、看過できない問題がいくつもあるのです。

この記事では、その「違和感の正体」を、医学と論理の視点から言語化してみたいと思います。。

科学や医学に対する「構造的な無理解」

参政党の主張に一貫して見られるのは、「情緒」や「印象」への強い訴求。

たとえば、mRNAワクチンについて「遺伝子が書き換えられる」「人類史上初の危険な技術」などといった言説が公然と語られてきた。医師としてこれは無視できない。そもそもmRNAワクチンは核に入りこまないため、ヒトのDNAを書き換えることなどありえません。しかも、これらの発言には一次情報(論文や臨床データ)へのリファレンスなんて見かけたことがありません。あったとしても一次ソースがそもそもトンデモだったりします。

あるのは「不安を煽る語彙」と「印象的な喩え」だけだけなのです。

また、統計的な因果関係と単なる相関を区別できていない発言も目立つ。「ワクチン接種が始まってから死亡者が増えた」→「だからワクチンのせいだ」といった短絡は、因果論として極めて乱暴です。

科学的リテラシーを持つ人間なら、こうした主張には「ちょっと待て」と思うはずだが、参政党ではそれがごく自然な「常識」として通用しまう不思議な集団なんです。

患者の不安に“便乗”する政治手法

日々、町医者レベルの臨床の現場でさえ「不安」と向き合っています。

自分の体がどうなっているのか、今後どうなるのか、不安に駆られる患者さんに対して、私たち医師は事実と可能性を丁寧に説明し、「不安を安心に変えるプロセス」に伴走するのが仕事なのです。

しかし、参政党の発信はこの真逆をいっているように見えます。不安を取り除くどころか、それを焚きつけ、拡張し、政治的支持につなげようとしているとしか思えない言質が飛び交っています。

たとえば「ターボがん」という造語。がん専門医でも聞いたことがないこの言葉が、あたかも“ワクチンのせいで急激に悪化するがん”を示す医学用語のようにSNSで広まりました。根拠も定義も不明確なまま「見たことがある」「多くなった気がする」といった印象論が独り歩きし、人々の不安を煽っていくのを目の当たりにしました。

なぜ医師として、参政党に違和感を持ってしまうのか?

なぜ医師として、参政党に違和感を持ってしまうのか?

その言説の多くが「空気」で語られ、「雰囲気」で共有されていく。まるで、医学が「確率と証拠の学問」であることは忘却の彼方って感じです。

医師としては、こうした「患者の不安の政治利用」はどうしても見過ごせません。

「健康」や「食」を思想化する危うさ

参政党は「食の安全」「無農薬」「自然な暮らし」といったキーワードを好んで使っていますよね。

もちろん、これらの概念自体は否定すべきものではなく、特に私も子どもを持つ親として、食の安全性には関心があるのは当然です。

しかし問題は、それを「思想」として絶対化し、「正しい食事」「正しい生活習慣」といった規範に仕立て上げようとする点にあるのが気持ちが悪いです。

栄養学も医学も、ある種の不確実性を前提として進んできた学問でです。体質や年齢、疾患によって「最適解」は人それぞれだ。にもかかわらず、参政党の言説では「これが正解」「現代医療は間違っている」という二元論で展開されているのです。

極端なナチュラリズムや自然崇拝が、やがて「思想的純粋性」や「正しい国民像」と結びついたとき、そこにはきわめて排他的な空気が生まれるのはトンデモさん達の歴史が教えてくれています。

それに惑わされてしまうと「健康でない人」を置き去りにし、「正しくない人」を攻撃する方向へ、人々は簡単に傾いてしまう危険性が出てきます。

議論が通じないという絶望感

私は、ワクチン論争の中で反ワクチン的な意見を持つ人と真剣に対話を試みたことがあります。

その中には、根拠をもとに自分の意見を述べる人もいて、話が通じる余地はあったし、健全な議論もできました。あまりにも非科学的思考のもとに非論理的な批判をする人への対応に疲れ切ってしまってブログを書くことからしばらく遠ざかっていましたし、Xへの投稿も控えていました(ツイ廃から離脱できてよかった説もあるけどね)。

だが、参政党支持者との議論になると、状況は一変してしまうのです。

統計や論文を示しても「厚労省に洗脳されている」「DS(ディープステート)の手先だ」「テレビ脳ですね」などと返されてしまうい、どれだけ証拠を積み上げても、「陰謀論的世界観」の中ではすべてが“仕組まれたもの”にされてしまうのがオチ。

議論とは、言葉が届くという前提があって初めて成り立つはずです。ところが、参政党界隈には「議論の通じなさ」が構造化されているようにすら感じられることが少なくありません。

科学や医学の言葉が通じない場面ほど、医師としての無力感を突きつけられることはないのです。

医師として、どこまで政治に声を上げるべきか

「医師は政治的中立であるべきだ」という意見があるために、それを開業医生活28年で守っていました。

だが、「命にかかわる事柄について、根拠のない情報が拡散されている」とき、ニセ医学のトンデモバスターと一時期は呼ばれた私としては、反論・批判がうざいから発言しないとの方針は、医師として責任放棄ではないかと考えるきっかけを与えてくれたのが参政党です。

参政党の掲げるスローガンは、耳ざわりがいい。「子どもの未来を守る」「自分の体は自分で守る」「国を取り戻す」……。だが、それらの言葉の裏側で、科学の軽視、情動による煽動、不安の政治利用が行われているのであれば、私は沈黙することは医師としてそれに加担していることにもなるのではと考え始めました。

科学とは、決して万能ではないのは常識。だが、それでも最も多くの命を救ってきたのは、やはり科学的根拠に基づいた医療であることは真実です。だから私は、医師の一人として、参政党の姿勢に違和感を持たずにはいられないのです。

終わりに

このブログを読んで、「医者のくせに政治に口を出すな」と思った方もいるかもしれない。今まではあまり政治関連のブログ記事は書いてきませんでした。

しかし、これは単なる政治論争ではないのです。科学と非科学の境界線を守るかどうか、命と不安のあいだで誰が責任を持つのか、という問題だと考えています。

私は、医師として不安を煽る側ではなく、安心を届ける側にいたい。だからこそ、私は医師として、参政党に対して声を上げるのです。

それは科学のためでも、自分のためでもない。「患者」のためである。

※これは総論的なものなので、次回から各論を書きたいところなんですが、そうなるともう参議院選は終わってしまっていることになります。もしも、ここ最近の私の参政党に対する意見を知りたい方はぜひTwitter(あっと、今はXをご覧ください)。

著者プロフィール

桑満おさむ(医師)


このブログ記事を書いた医師:桑満おさむ(Osamu Kuwamitsu, M.D.)

1986年横浜市立大学医学部卒業後、同大医学部病院泌尿器科勤務を経て、1997年に東京都目黒区に五本木クリニックを開院。

医学情報を、難解な医学論文をエビデンスとしつつも誰にでもわかるようにやさしく紹介していきます。

桑満おさむ医師のプロフィール詳細

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