正しい医療には、なぜアンチがつくのか

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正しい医療には、なぜアンチがつくのか

― 科学と言葉と、「信じたい人々」の心理について ―

SNSで医療について発信をしていると、時々ふしぎな光景に出会う。
根拠を示し、データを添え、淡々と事実を伝えているだけなのに、なぜか怒られる。
「冷たい」「上から目線」「偉そう」といった言葉が返ってくる。

正しいことを言うほど、敵が増える。
この矛盾を経験した医療者は少なくないだろう。
けれど、それでも言わなければならないのが医療の宿命だ。
なぜなら、医療とは「人の不安」に直接触れる営みだからである。

信じたい物語と、事実の衝突

科学的医療は、検証と再現性の上に成り立っている。
「データが語ることだけを信じる」——この冷たいほどの厳密さが、
現代医療の信頼性を支えてきた。

しかし、SNSの世界はまるで反対の原理で動いている。
そこでは「信じたい物語」や「共感できる声」が力を持つ。
“自然療法こそ本当の医療”“薬は体を毒す”“ワクチンで免疫が壊れる”といった言葉が拡散されるのは、
それが「安心」を与えてくれるからだ。

不安を抱える人にとって、“事実”より“物語”のほうが温かい。
だからこそ、科学的根拠に基づいた説明はしばしば「冷たい」と誤解される。
事実は、希望や幻想を奪ってしまうからだ。

科学とは、希望を削り取ってもなお真実を見ようとする行為である。

医療とは、人の身体を扱うと同時に、心の防衛反応と常に衝突する分野だ。
それゆえ、真面目に伝えれば伝えるほど“拒絶”が起こる。
それは科学が人間に突きつける、永遠の宿題のようなものだ。

正しさは、ときに「攻撃」に見える

医療者が根拠をもとに語るとき、それは「優しさ」ではなく「理性」の言葉だ。
だが多くの人は、「理性よりも共感」に慣れきっている。
すると、淡々とした説明が冷淡に感じられ、
「否定された」と誤解されてしまう。

特にSNSでは、短い言葉ほど誤解を生みやすい。
100文字の中でニュアンスを伝えることは難しく、
どれほど丁寧に書いても「上から目線」と読まれることがある。

正しさは、聞く側に準備がなければ攻撃に見える。

この構造を理解しておかないと、誠実さが逆効果になる。
それでも伝えようとする医師は、
しばしば孤立しながらも、誤情報の渦に抗っている。

現場で感じる「沈黙の圧力」

医療現場では、SNSとはまた違う種類の「沈黙の圧力」がある。
学会や勉強会の場でさえ、誤解を恐れて言葉を飲み込む医師は少なくない。
「波風を立てないように」「患者さんが不安になるから」──その配慮はもちろん必要だ。
だが、それが度を超えると、いつの間にか「言わないこと」が正解のような空気が生まれる。

この空気は静かだが強い。
医師自身が“正しさを語る勇気”を奪われていく。
それは、誤情報を拡散する者よりも、ずっと怖い現象かもしれない。

私は思う。
アンチよりも恐れるべきは、「沈黙による同調」だ。
誤情報が力を持つのは、それに対抗する声が減ったときである。
だから、どれほど面倒でも、どれほど誤解されようとも、
理性的な声は社会の中に残さなければならない。

「正しい」と「伝わる」は別の言語

もう一つ感じるのは、「正しい」と「伝わる」は別の言語だということ。
医学的に正確な文章が、必ずしも人の心に届くとは限らない。
逆に、少し曖昧でも「やさしく聞こえる言葉」が広がってしまうことがある。

私はこの「二つの言語」の間で、いつも悩む。
どこまで正確であるべきか、どこまでやさしくするべきか。
しかし、どちらか一方を捨てるのではなく、
両方のあいだでバランスを取り続けることが医療者の役割だと思う。

患者の心に届く言葉を選びながらも、
科学の厳密さを失わない。
その試行錯誤の中にこそ、医療の倫理がある。

「アンチ」は存在の証明でもある

「正しいことを言うとアンチがつく」と嘆く人は多い。
だが、それは言葉が“届いている証拠”でもある。
無視されている発信は、炎上すらしない。
怒りや反発の感情が生じるのは、
その言葉が誰かの世界観に“食い込んでしまった”証拠だ。

もちろん、悪意に満ちた中傷や人格攻撃は論外だ。
しかし、“反発”という現象そのものは、社会が変化する際の摩擦でもある。
「見たくない現実」に人がどう反応するか——そこにこそ教育や啓発の芽がある。

アンチはノイズではなく、認知の証明である。
否定の裏には、「届いてしまった」という現実がある。

科学は「人間の不完全さ」を認める営み

科学とは、完璧を信じることではなく、
「人間は誤る」という前提に立ち続ける営みだ。
だからこそ再現性を求め、データで確かめ、
「わからない」と言える勇気を持つ。

医療の現場でも、SNSの発信でも、
この「わからない」と言う姿勢こそが最も信頼されるべきだ。
だが残念ながら、SNSの多くは「断言する人」だけを評価する。
ゆえに、慎重であることが損をする時代でもある。

それでも、正しい医療とは、
「不確実さを丁寧に扱う」ことからしか生まれない。

理性を諦めないということ

医療の目的は「安心」ではなく、「真実」と「回復」である。
だが、現代のSNSは「共感」と「やさしさ」で動く世界だ。
医師が理性を語るたび、感情の世界との摩擦が生まれる。

それでも、理性を諦めてはいけない。
なぜなら、医療の根幹は「事実に耐える勇気」だからだ。
誰かの信じたい幻想を壊してしまうとしても、
それを恐れて沈黙してしまえば、医療は宗教になる。

ハンナ・アレントは言った。

「思考を放棄する者は、他人の言葉で世界を見てしまう」と。

正しい医療を語るということは、
「自分の言葉で世界を見続ける」行為に他ならない。
たとえそれが孤独であっても、
その孤独は、理性を手放さない者だけに訪れる静かな誇りだ。

終わりに:静かな矜持としての“発信”

SNSでの発信は、自己顕示ではなく“啓蒙”であるべきだと思う。
誰かを叩くためでも、優越感を示すためでもない。
ただ、社会の空気に流されずに、
科学と倫理のバランスを守ること——それだけだ。

正しい医療を語るという行為は、
言葉を尽くしても届かない壁に、何度も頭をぶつけるような作業だ。
だがそのたびに、医師としての矜持が少しずつ研ぎ澄まされていく。

アンチがつくということは、あなたが影響を与えているということ。
そして、理性を語る人間が社会に必要とされているという証でもある。

だから私は、これからも言葉を投げ続ける。
静かに、しかし揺るぎなく。
科学と人間の間で、理性を諦めない医療のために。

著者プロフィール

桑満おさむ(医師)


このブログ記事を書いた医師:桑満おさむ(Osamu Kuwamitsu, M.D.)

1986年横浜市立大学医学部卒業後、同大医学部病院泌尿器科勤務を経て、1997年に東京都目黒区に五本木クリニックを開院。

医学情報を、難解な医学論文をエビデンスとしつつも誰にでもわかるようにやさしく紹介していきます。

桑満おさむ医師のプロフィール詳細

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